4月-花のふり返り

今年の4月をふり返ります。

ソメイヨシノの開花が遅れた今年は、新年度と共に桜が見事に咲き競いました。あいにく晴天が長続きしなくて入学式、入園式にうまく合っていなかったりしたようですが。

孫のYMKちゃんの入園式の前日に思いがけず用事が出来て次女の家に訪問しました。夫の車で海とは反対の方向で、山間を抜けて行きました。山桜が春を知らせてくれている風景です。

近場では、ソメイヨシノが美しく花吹雪を散らす頃、八重桜がきれいに咲きました。大きな花に少し葉っぱがついて見事な咲きぶりでせっかくだから尋ねてきた長女とお花見散歩をしましたが、近くなのに八重桜を鑑賞したのは今年が初めてでした。

その後、徒歩で買い物の途中、中学校の敷地にまた違う種類の八重桜が見事に咲いていました。

うちの庭では、モッコウバラと30年ぶりに沢山咲いたツツジ、期待のネモフィラはちっちゃく5輪だけ花をつけました。

道を歩くとそれぞれの家の庭や道端、塀越しにきれいな花が沢山見られます。4月はまさに花の開花スタートの月。これから半年次々と咲く様々な花を見て、楽しみつつ元気をもらいたいと思います。

抗がん剤4/1に終了後の体調は順調です。

3月31日

2023年度もいよいよ今日で終わり。今日は5月6月の陽気で、近場の桜まつりが賑わっています。が、肝心の桜はまだ蕾でやや残念です。昨年は、3/28ごろの写真できれいに咲いていたから、今年は開花が早いと言われてたこととは反対に、やや遅い開花となりそうです。

近くの商業施設の一部が改装リニューアルで、今日まで閉店セールでした。日一日と売り場が狭くなり、商品が無くなっていきましたが昨日その最後を見物兼ねて行って来ました。ほぼなくなっていましたが、その中でキッチン用品の小物が70%引きになっていました。気づけば、敢えていらないけどあってもいいかなと思うものを何点か見つけてしまって買ってしまいました。

レモンしぼり108円、ボトルハンドル131円、シリコン刷毛177円、キッズ箸68円

明日からはリニューアル工事に入り7月ごろに新規オープンになるそうです。カインズホーム楽しみです。

冬の手仕事の「毛糸座布団」作りに取り掛かっていてまだ完成していません。もう二十数年前に教えてもらったもので、1つ作って母にプレゼントしたあとは、作っていませんでしたが、作り方のコピーを見るたびにいつかと思っていました。SDGsの精神にも則ったグッズと思います。

古ストッキングを使って、25×25のマス目を作り、そこに太毛糸でマス目に長編みで編みこんで行きます。4月になってしまいますが何とか完成させたいと思っています。

さて、明日はまた点滴6回目です。これが終われば、また新たな展開となりますが、今は無事に終わることだけを考えて過ごしたいと思っています。

年度末

日々をそれなりに過ごすうちに、桜の開花が迫る年度末を迎えています。

治療の方は、4回目と5回目を外来化学治療室で無事行い、あとは4/1の6回目が終わればTC療法は終了となります。この治療が終われば、脱毛、直後の倦怠感、2週目に起きる免疫抑制などの副作用から解放されるので、日々が過ごしやすくなります。ただ、回を重ねるずつ症状が増して来た足の痺れだけは、6回終わったあとも残ってしまうとのことです。

痺れは私も4回目から苦痛に感じるレベルになってきたので5回目の時に、これを緩和する薬を処方してもらいました。最近抗がん剤の副作用の痺れに効く薬と認定されたものらしいですが、効き目は人によって違うとのこと。即効薬ではなく長く飲む薬らしいですが、私は飲み始めて数日で効果がありました。痺れは全然治ってませんが、歩くと痛かったのがその痛みが全くなくなりました。ただ、この薬の副作用に挙げられている眠気がまさにあって、全く薬はもろ刃の剣と感じています。

この1カ月は冬から春へと日一日移り過ぎる日々で、ウオーキングでは春の訪れを感じました。また、孫のUMちゃんの3才の誕生日があり、ビデオ通話と写真でその成長を見ることが出来ました。

また、後付けの浴室換気暖房乾燥機を取り付け工事、シロアリ防蟻なども夫がメインで進めてくれました。

家での手仕事も複数取り掛かっています。今までに関心があって取り掛かったものの途中でそのままになっているもの、1回作ってもっと作りたかったにも関わらず終わっているものなど、素材がそのままになっているので、まずそれらを完成させたり、作り進めたりして完結させるのが今の目標です。

ものが減らないのは、心の整理がついていないからというのは真実です。

遺品整理と墓じまい

前回の更新からほぼ1カ月、2月の半ばを迎えています。

3回目の入院点滴は1月下旬に無事終わり、4回目からは外来での点滴となり、予約が来週の月曜日に入ってます。なので、今週は久しぶりに元気かつ免疫も上がる日が幾日か出来ました。

実家は、今兄が荷物撤収を1月下旬から始めています。そんな中母の水彩画作品集の本が出来上がり、親戚など関係のある人に渡すことが出来ました。

和歌山のお墓の今後も迅速に進められ、昨日永代供養の法要が行われました。私は参加できないので、facetimeをつないでくれて参加することができました。お寺の中の墓地から永代供養の納骨堂へ移動、永代供養用の夫婦の名前が刻まれた位牌を本堂に納めてくださったということです。

遺品は母の趣味の活動のものやアルバム、手書きの日記風手帳などを中心に引き取りました。そんな中で、母が水彩画と同時期に活動していた童謡、抒情歌のサークルの楽譜が山のようにあったのでそれを整理することに取り掛かりました。

左肩の日付を頼りに、西暦を割り出して4月から翌年の3月までのグループ分けをしたところ、7年分に分けることが出来ました。1年単位で季節の歌やわらべ歌、子どもの歌などの楽譜と歌詞、その8割が知っている歌ばかりなので見ているだけで楽しくなりました。毎年取り上げている歌も3割ぐらいあります。家でピアノでちょっと弾いて歌ってみたい人、幼少に携わる人などには重宝する楽譜ではないかしら?と思って、1年分単位で引き取り手を探そうと思っています。

あと、その他の実家のもので、拾い上げた2品。

1つは私が結婚する前に作った刺繍画の作品。母が寂しくなるので置いて行ってと言われ、以来44年間実家に飾られていましたが、今回引き取りました。額が大きくて送るに支障があったので中身だけですが、玄関の横のトイレの扉に張り付けるといい雰囲気になりました。

もう1つは大倉のブルーローズのティーカップ。2客あったけどかろうじて1客救い出しました。うちも場所がぎりぎりなので1客でちょうど良かったと思うことにしています。

2024年始動!

年が明けて、早半月が過ぎました。

今年は色々なことが重なり、お正月は夫婦二人で過ごしました。二日に次女家族とビデオ通話を、三日に長女の一家が玄関先に立ち寄ってくれて、其々新年の挨拶をしました。

その翌日からは、二泊三日でまた入院、2回目の点滴治療へ。

血液検査をして、白血球数が回復していたら予定通りの実施となりますが、白血球数は倍に、そのうちの好中球数は3倍になってて、無事に行うことが出来ました。

年末年始は、とても元気に過ごせてましたが、2回目の点滴を行った後はどうなんだろう?と不安が募りました。というのも、1回目はTC療法のみ。2回目はこれにプラスしてアバスチンという薬が加わるからです。この薬にも、また別の副反応の注意書きがずらりとあるので。

いちばん要注意なのが高血圧。それでこの後の日からは、家で毎朝血圧を計るのが日課となりました。初めの二日間は、緊張なのか足がポカポカ、血圧高めでしたが、その後は普通に戻りました。

脱毛も進んで来ていて、2回目の点滴入院のあと病院の美容室でベリーショートにしてもらい、ウイッグの着け方なども教わりました。今は、毛糸の帽子をかぶるかウイッグをつけるかのどちらかにしています。夜は寒いのでは?という夫の助言で初めは帽子をかぶってましたが、これは暑いということが判明。

慣れないうちは、顔つきが定まってませんでしたが、最近ではウイッグも帽子も私の1部となっています。

2回目のそのほかの副反応は1回目とほぼ同じで、便秘気味となり、吐き気は薬で抑えられて倦怠感が50%ある状況です。それも1週間が過ぎる頃にはすっかりなくなり、今は元気な毎日です。

そうなると、お家時間がたくさんある感じになり、手作り、手仕事を探し出して楽しむことにしています。

買い出しがあまりできないので、基本家にあるもので作るというのが条件となります。そこは在庫が多い家なので、ちょうどよい機会となってあるもの製作に励んでいます。

この春幼稚園に入園の孫の、幼稚園セットー応援製作第1弾、箱の張り紙、クッキー作り。

今週は免疫が下がるので人込みには行けないけれど、近隣を散歩しています。午前中は冬場れできれいな青空とあたたかな日差しが嬉しい散歩です。

2回目の治療を前に

2023年もあと2日。年の瀬を迎えています。

中々ブログを更新できないのはパソコンを開くのに時間がかかることも1つの原因です。並行してスマホから投稿できるTwitterを補足していましたが、Xに変わってからはあまり使うことが無くなりました。

実名で始めたInstagramが意外と使いやすく、スマホから気軽に開いて投稿できるところが魅力です。ただ画像がメインなので、言葉を並べたいときはやはりブログに戻ることになります。

12月14日、1回目の抗がん剤治療を終え、初めての3週間を過ごしました。年明け早々に、2回目の抗がん剤治療に入ります。抗がん剤治療は、副作用が山のように書かれていて、その都度対処していかなくてはなりません。薬によって違いますが、私の場合のTC療法では、まず吐き気が来て2週目には免疫が低下し、その後脱毛が始まるというのが大きなところ。ー予想通りではありましたが、吐き気の方は吐き気止めの薬でほぼ回避できました。反面関節痛が少しある倦怠感がありましたが、2週目に入る頃には不思議となくなりました。3週目に入る先日受診した血液検査ではやはり免疫が下がっていて、これが回復した所で2回目となるようです。免疫は下がっていましたが、ヘモグロビンと血小板の値は基準内だったので、少し安心しました。

また、点滴あとに残る違和感がその後変化して、受診の前の日ぐらいから蕁麻疹のように広がりましたが、抗アレルギー薬のアレグラを処方してもらったところ2,3日でほぼなくなりました。

2回目も無事に終われますように!ー2回目からは、アバスチンという抗がん剤が加わります。

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今年の12月は、それでも家の中で普通に暮らせたので、のんびりと年末年始を過ごせるありがたみを感じています。

記録事項として、

*ダイソン掃除機4年半使用にしてバッテリーが故障し、バッテリー交換しました。9020円着払いで。ドライバーで取り換え、見事復活しました。

*二重窓にしてから初めての冬、快適な暖かさです!

*この頃の食糧調達のメインはおうちコープeふれんずになりました。1日は冷凍弁当の試食。主菜を冷凍ものにして、副菜を作るスタイルで家事を軽減しています。

*年末年始のお菓子をネットで注文してみました。ーえびせん、おかき、干し芋

*手作りのお菓子、お正月料理も多少は作りましたー黒豆、紅茶豚、しいたけの煮物、田作り、カステラ、パウンド

そして今日は、折り紙でお正月に使う○○○○○を作って楽しみました。

暖かい師走

今日は12月12日。遅れがちのこのブログはとうとう2カ月も停滞してしまいました。

もう冬なのに秋のような暖かい師走ですが、10月頃はいつまでも夏のような日々だったかも知れません。この月の残したい記録は、月半ばに、和歌山の父の眠るお墓に、母の遺骨を収め、四十九日の法要を終えたことです。

父の実家のご夫婦2人と兄との4人で四十九日を行いました。少子高齢化社会の例に漏れないばかりか、私たちは、大阪どころか、私は神奈川、兄は北海道と遠方なこともあり、いずれは墓じまい=永代供養をしなくてはならない現実を前にしながらも、しばらくは整備されたお寺と墓地の佇まいの中で母を弔うことができました。

母のことが一段落ついたところで、毎年なら本格的な秋の紅葉と忙しい所属団体の秋の行事が待っている季節ですが、今年ばかりはそうは行きません。

一切の予定を後回しにして、私の体の異変の究明にとりかかったところ、重大な結果が待っていて、11月に2週間の入院、手術となり、退院してそろそろ3週間。ようやく体が元に戻りつつあるのを感じていますが、明日からは第1回目の治療に入るので、2泊3日の入院となりました。

重大なことは中々言葉にしにくいのですが、記録としての価値はあるかもしれないと思い機会を見付けて、書き残せたらと思っています。

9月が過ぎて

とうとう、9月にブログ更新できないまま10月を迎えてしまいました。過ぎてしまった9月は猛暑日が多く台風の少ない、夏そのもののような日々でした。

8月の末に母がもう食べられなくなったので、会いに来た方が良いとの連絡が入り、大阪に行く準備をしていた時に電話で訃報が入ったのが3日でした。その前後の詳細は、何度か振り返り思い巡らすものの、実際には限られた日数で母との別れの時を過ごす幾日かに奔走しました。

今大阪に在住している兄が中心となり家族葬が執り行われました。兄の家族は北海道、私の方は神奈川県と遠方ですが、万障繰り合わせてそれぞれ来ることができ、皆で見送ることが出来ました。母と父の実家は和歌山なので、こちらの親戚方も参列してくださいました。

そして月末には、高野山の熊谷寺に兄と出向き、母の分骨を収めて来ました。

この大きな出来事と並行して、私の病院通いや家の二重窓エコリフォームなども入りこむ過密な日々を過ごした9月でした。10月はその続きです。昨日は1回目の母の月命日で、静かに母を思いました。母の戒名には白い花を意味する「香雪」という文字が入っているので、白い花を思い浮かべて母を忍びたいと思います。

大阪へ‐孫たちとUSJ

母との面会を終えた後は、遠いところをはるばる大阪まで来てくれた孫たちとの集いです。

この日の宿泊は実家のマンションが定員オーバーなので、梅田のホテルで私たち4人宿泊しました。夕食は、兄の提案でホテルのレストランで皆で集いました。

ちなみにこのホテル泊とレストラン予約は、約1ヵ月前から中々苦労して探しましたが、結果的にそれぞれ満足できるものでした。

レストランは、フランス料理と中華料理が食べられるレストランで、個室を用意してくれていてました。コースメニューもありますが、バルメニューという700円均一の料理が39種類あり好きなものを選ぶことが出来るので子どもたちも楽しめました。

ホテルはこのレストランからすぐのところでJR大阪駅の近く。翌日USJに迅速に行くためです。朝早く出発なので短い滞在でしたが、一部屋4ベッドで、「なんだか家のよう」と喜んでもらえました。

孫たちの楽しみにしているUSJは、娘と私の旧家族では20年前に開園した年に行きましたが、今はすっかり様変わりしています、と言いつつ当時の記憶も曖昧ですが。

孫たちは中でも最近できたニンテンドーワールドに行きたいということで、こちらも娘を中心にサーチしていましたが、人気のエリアで人数制限があり、確約券か整理券か抽選券で当たらなければ入ることはできません。夏休みの土曜日ですので。

またびっくりすることとして、入場チケットその他、日々の経済感覚の10倍感覚で臨む世界なので、お金を払う確約券は論外。あとは整理券と抽選券にかけ、外れたら諦めることに。

ユニバーサルを楽しむには、アプリを入れることが必須と知り、娘に伝え後は任せました。そのアプリに入場後早目に4人のチケットのデータを入れ、11時代の整理券を申し込んだところ、ラッキーにも⭕️となり、入場できることとなりホッとしました。ちなみに、ユニバーサルではどこにも案内パンフレットは置いてませんでした。アプリで確認する世界です。

開演は8時ですが、7時にホテルを出て7時半過ぎには最寄駅に着きましたが、もうすでに開園してて入場の長い列ができていました。一泊の荷物を持つ私たちは少し手前のコインロッカーに荷物を預けて並びました。ロッカーはまだまだ空いてたので助かりました。

この日はとても猛暑の日で、その後の荷物は主に飲み物やクールグッズ。

ニンテンドーワールドに入るまでに、ミニオンパーク、ワンダーランドを楽しみました。途中クールダウンのためにクリームソーダ休憩したのは9時半ごろでしたが、12時と言っても不思議ではないくらいの晴天ぶりでした。

ニンテンドーワールドは、まさにゲームの世界で、土管をくぐった先は2階構造。孫たちは早速パワーアップバンドをつけて、アトラクションを楽しみ始めました。暑さはマックスで、私は1つは一緒に回りしましたが、あとは土管の中で荷物番をしてました。

休憩タイムで、ヨッシースナックアイランドでお昼をいただきあとはお土産ショップ。そのうち孫たちも目的のものをクリアして合流しました。

娘孫たちはこの日に関東に戻る予定なので、午後3時にはUSJを出なくてはなりません。帰りの新幹線は指定席をとってあるのでその時間が目安です。朝早くからの入場、小学生なので体力的にも丁度ころ合いで満足して帰路に就くことが出来ました。

シニアの私は、休憩を多くとりながら炎天下よく頑張りました。孫が行きたいと言わなければもう来ることはないと思う場所を巡ることが出来て達成感を感じつつ、実家マンションに戻りました。

大阪へ-母との面会

大変暑い日々のまま、8月が始まりました。

今回大阪へ行くのは4月以来です。2月に母のところへ行ったことを記してからは、母のことを暫く詳しく書いてませんでしたが、母はここ数カ月で大きく変化しました。

2月に会った時、20年目の父の命日をしみじみ思いながら、母と筆談で話し持参したお菓子も食べてくれたあの時間はもう遠いものになっています。

コロナの縛りもゆるくなり、3月のお彼岸にまたと思っていた3月の初旬、その日は兄が面会に行く日でした。施設のミスで入浴の世話をしてもらっているときにストレッチャーから転落して頭と肘を怪我して、救急搬送されたのです。

兄が施設との交渉に当たり、当時の状況や時々の対応もしてくれ、私は入院治療することになった病院とZoom面会の予約をとって母の様子を見守りました。頭の傷は痛々しいものでしたが2週間くらいで施設に戻れ、お彼岸に施設に面会に行きましたが、その時は昼夜逆転していて眠っていました。

そして、その翌日にはそれは実は異変だったようで、再び救急搬送となってしまいました。尿路感染をおこして心臓に負担がかかり肺に水がたまったからで、高齢者がこの状況になると危ない状況であり、治っても繰り返すとの説明があり愕然としたのが3月下旬です。しかし、この時、点滴治療を数時間して入院するときには意識が戻り、兄と私をしっかり認識してくれました。そして、その後は見立てに反して回復しました。

しかし、元の施設には戻らない方がいいというアドバイスに従って、今の療養型病院に転院することになりました。当時コロナの影響で、入院してしまうと一切面会ができなかったのですが、転院移動のときだけは付き添えるので兄と二人で付き添いました。母は半分わかっているくらいの認知レベルのように感じました。4月下旬のことです。

転院先の病院も面会は出来なかったのですが、Zoom面会が週1回出来、その後月2回面会も出来るようになりこちらは兄が行ってくれています。

この面会枠を使って、今回長女が夏休みを利用して子どもたちを連れて来てくれることになりました。と言っても、2時から3時の間の15分間だけで、2人まで。子どもは面会できません。その間1階の待合ロビーで待ってもらいました。

私と娘で貴重な15分を過ごしました。母は眠っている感じでしたが、時々薄目を開けたりで呼びかけに少し反応してくれ、娘は喜んでくれました。

短い面会ですが、実現できてうれしく思っています。